食物調理コースが異文化料理を作ってみた!!

文芸同好会

書評:顧問より
人生はタイミングで決まるという結論のあいまいさが、不完全燃焼になって私の中でくすぶっている。 しかし、十代の高校生が書いた作品には、あやうさと結論の不透明さがなくてはむしろおかしいくらいだ。 「何のために我々は自我を持ち生活しているのだろうか」などと、このような哲学的な悩みを抱えて堂々巡りをしてこそ、高校生なのだから。 大抵の大人にはこの作品のような純粋な怒りも迷いも神に対する疑念も、批判も、浮かんでこない(と私は思う)。 浮かぶとすれば、日常にしっかり根を下ろした場所から起こりうるもの、だと思う。 たとえば、家事の大変さ、残業の不満、育児疲れ、夫婦げんか、どれもこれも大切であると同時に、どれもこれも、非日常の内側に存在する普遍的なきらめきからは遠い。 ゆえに私は、この作品のような感性がうらやましいのである。
小説「私の世界」
書評:顧問より
姉を心配する弟と、弟を気遣う姉。 ふたりの軽い会話の応酬の中に、何度も繰り返される優しい空気感がある。 素直になれないというほどでもなく、適度な距離感もある二人。 本来なら、両親の死、という心を打ち砕かれる出来事について、姉弟の詳しい心理描写があっていいはずだ。 が、「死」にまつわる感情は驚くほど伝わってこない。 あえて書かなかったとすれば、この作者のテーマは、両親の「死」という乗り越えなければならない壁ではなく、残された姉弟ふたりのまだ見ぬ未来なのだろう。 姉が弟に対して素直に応じて会話が終わるのも、両親の死の記憶を消すのでもなく忘れるのでもなく、これからの日々を生きていこうというメッセージなのかもしれない。 淡々と描かれるふたりのやりとりから、感情を荒げることのないけなげさがふわっと漂ってくる。
小説「日常」

かるた同好会

小倉百人一首 会員お気に入りの一首をご紹介します。
あしびきの
山鳥の尾の
しだり尾の
長々し夜を
ひとりかも寝む
柿本人麿
つれない異性を想って一人で明けそうにない夜を過ごしていると思うと、健気だからこそ相手に冷たくされているのが残念だなと思いました
2-B 蟹
嵐吹く
三室の山の
もみぢ葉は
龍田の川の
錦なりけり
能因法師
三室の山から流れてきた紅葉が龍田の川をおおいつくしていく光景はきれいだろうと思い、この句にしました。
1-H えりりん
いにしへの
奈良の都の
八重桜
けふ九重に
匂ひぬるかも
伊勢大輔
この歌はさくしゃである伊勢大輔が藤原道長から急に「歌を即興で詠め」と言われたときに詠んだ歌です。私はこれを調べたとき、即興でこのような歌を詠めるのはすごいと思いました。
2-F ひめかわ なつは
奥山に
紅葉踏み分け
鳴く鹿の
声聞く時ぞ
秋は悲しき
猿丸太夫
聞いた時の第一印象は、 夏が終わり秋が深まって来た時に気分転換へと 山奥に歩いて行ったら あたり一面に紅葉の木が生い茂りそよ風と 共にはらはらと紅葉が落ちてくる、 耳を澄ませてみれば自分が落ち葉を踏む音と 遠くから微かに鹿の声が聞こえてくる。 そんな風景に感銘し、心にふっと秋の悲しさが浮かび上がってきた。 そんなことを思いました。
2-A 鮭
契りおきし
させもが露を
いのちにて
あはれ今年の
秋もいぬめり
藤原基俊
子どもを試験に受からせようとして、親コネを使った挙句さらに落ちるという内容のひどさにあきれ果てるとともに、思わず笑ってしまいます。
顧問 お汁粉食べたい
めぐり逢ひて
見しやそれとも
わかぬ間に
雲がくれにし
夜半の月かな
紫式部
「久しぶりに逢って、あなたであるかどうかも見分けのつかないうちに急いでお帰りになって本島にあなたは雲にかくれてしまった夜半の月のようですよ」 という紫式部の歌に共感でき、紫式部にこのようなったがあったことに衝撃を受けました。
1-A 舞姫

図書委員によるおすすめ図書のPOP展示

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