書評:顧問より
人生はタイミングで決まるという結論のあいまいさが、不完全燃焼になって私の中でくすぶっている。
しかし、十代の高校生が書いた作品には、あやうさと結論の不透明さがなくてはむしろおかしいくらいだ。
「何のために我々は自我を持ち生活しているのだろうか」などと、このような哲学的な悩みを抱えて堂々巡りをしてこそ、高校生なのだから。
大抵の大人にはこの作品のような純粋な怒りも迷いも神に対する疑念も、批判も、浮かんでこない(と私は思う)。
浮かぶとすれば、日常にしっかり根を下ろした場所から起こりうるもの、だと思う。
たとえば、家事の大変さ、残業の不満、育児疲れ、夫婦げんか、どれもこれも大切であると同時に、どれもこれも、非日常の内側に存在する普遍的なきらめきからは遠い。
ゆえに私は、この作品のような感性がうらやましいのである。